Kawasaki Robotics

50th Anniversary

日本初の産業用ロボット、
国産化プロジェクト始動

1954年以降に迎えた高度経済成長期。
年率10%を超える経済成長を遂げる中、1968年には世界第2位に達した国民総生産(GNP)の
3割を支える製造業を中心に、深刻な働き手不足に直面していました。
とくに急速なモータリゼーションを背景に増産体制を敷く自動車産業の製造現場は、自動化・合理化に迫られていました。

1968

日本初の国産・産業用ロボット、
初号機デビュー

1968年6月の「IR(Industrial Robot)国産化推進室」設置、10月のユニメーションとの技術提携契約締結に続き、翌年1969年には、日本初の国産・産業用ロボット「川崎ユニメート2000型」の初号機が誕生しました。それまでものづくりの現場では、特定用途に応じて設計された専用機械による自動化が主流でしたが、川崎ユニメートは1台で何種類もの作業に対応できるため、その汎用性が現場の絶対的な働き手不足に悩む産業界から大きな注目を呼びました。

「川崎ユニメート2000型」の当時の価格は1台1,200万円。初任給3万円の時代には非常に高価でした。
1980

モータリゼーションを追い風に、自動車製造ラインにロボット導入がはじまる

「川崎ユニメート」の発表に特に強い関心を示したのは自動車業界でした。高度経済成長期の中モータリゼーションが本格化し、増産体制を敷く自動車メーカーは、「3K(きつい・汚い・危険)労働」とされる溶接工程の作業者確保に苦慮していました。その状況に対し、川崎ユニメートは、熟練溶接工10人分の作業を引き受け、昼・夜の交代を合わせて20人の省力化が可能です。このような効果を見出した日本の自動車メーカーは、他の業界に先駆けて自社工場に「川崎ユニメート」を採用し始めました。

その後、1973年の第一次オイルショック時には、不況による設備投資削減の影響もあり、ものづくり現場へのロボット導入は一時停滞。しかし、1979年に第二次オイルショックを迎えた時には、景気低迷によって合理化・省人化が進み、かえってロボット導入を後押しすることになります。そして迎えた1980年は産業用ロボット「普及元年」とされました。「川崎ユニメート」は、溶接をはじめ、ハンドリングや塗装など、各種作業に適用され、1980年5月には川崎重工からの出荷は累計1,000台を突破。はじめの500台は9年間を要したのに比べ、次の500台は2年間で到達し、急速な成長を遂げました。

当時の自動車工場で稼働する「川崎ユニメート2000型」。